大判例

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札幌地方裁判所 昭和46年(わ)368号 判決

被告人 甲野太郎

昭二七・九・一五生 無職

乙野花子

昭二六・七・一七生 無職

主文

被告人両名をそれぞれ無期懲役に処する。

被告人両名から、押収してある料理包丁二丁(昭和四六年押第一六九号の一)を没収する

理由

(被告人両名の経歴)

一、甲野太郎の経歴

被告人甲野太郎は、昭和二七年九月一五日北海道利尻郡鴛泊村において父籾山巌、母斉藤富江の長男として生れたが、翌昭和二八年春ごろ、父母の折合いが悪くなり、母富江とともに当時美唄の炭鉱に勤めていた富江の兄竹太郎のもとに身を寄せることとなつたが、竹太郎が結核のため入院中で生活が困窮し、太郎は、昭和二九年秋ごろ、ソ連からの引揚げ中に子供を死なせさびしがつていた公認会計士事務所の職員甲野竜次夫妻の養子となるにいたつた。(戸籍上の養子縁組は、遅れて昭和三九年一一月五日届出された。)

その後太郎は、甲野夫妻のもとで順調に成育したが、小学校四年生の夏ごろ、なついていた養母シゲ子が子宮ガンで入院し、闘病生活を送つたすえ、昭和三九年六月死亡するに至り、その後養父竜次は、いまだ幼ない太郎の面倒を見てくれる人を求める気持もあつて、同年秋ごろから交際をはじめた高寺末子と翌年五月挙式し、同女を太郎の継母とした新しい生活がはじまつた。

ところが、そのころ中学校に進学した太郎は、養父竜次の気持とはうらはらに右高寺になじめず同女に反抗し、ときには同女に暴力を振るい、ために同女が流産するという一幕もあつたりして、この新しい家庭の空気は太郎にとつてなじむことができず、次第に不良生徒とつきあうなど素行も乱れるようになつていつた。

太郎は、昭和四三年三月中学校を卒業後、公立高校に進学させたいという養父竜次の希望にさからつてみずか選らんだ私立である東海大学付属高校に入学し、札幌市内の知人宅での下宿生活をはじめたが、夜遊び等を下宿で注意されたり、淋しさがつのつたりしたためわずか一週間たらずで通学をやめ美唄の自宅に戻つてしまつたため、これに失望、落胆した養父竜次から強く叱責され、その際はじめて自分が養子であることを知らされるに及んで、同人の心は、ますます養父竜次やその家庭から離れていつた。

その後太郎は、美唄でペンキ屋の店員として住込んだが、それもつかの間でそこをやめ、友人の家やアパートを転々と泊まり歩きながらその間歌やギターを練習して美唄や滝川のダンスホール、ナイトクラブなどに出演したりしていたこともあつたが、やがてシンナー遊びなどをおぼえてからは仕事にもつかず、ただ無為徒遊の生活を続けていたため、ついに昭和四四年八月には、家庭裁判所から虞犯少年として保護観察処分に付せられるにいたつた。しかし、太郎はその後も友人の家に泊りながらキヤバレーのバーテンなどをして家庭に寄りつかないため、養父竜次がその居所をつきとめ、家庭に連れ戻して職業訓練校に入れようとしたものの、これを受けつけず、昭和四五年五月ごろまたも家を出てからは養父竜次に全く所在を知らせようとせず音信不通のまま札幌のバンドのピアノ奏者をして、ナイトクラブなどで働いていた。

二、被告人乙野花子の経歴

被告人乙野花子は、昭和二六年七月一七日北海道空知郡歌志内町において、柳通広衛、ノブ夫婦の二女(双生児の姉)として生まれたが、昭和二七年一〇月ごろ一家の生活が苦しかつたためもあつて旭川市江丹別で農業を営む乙野正、きよ子夫婦の養女となり(戸籍上の養子縁組は、昭和二八年四月八日届出された。)、以後同夫婦に育てられたが、養父正が数度にわたつて転業、転居したため、花子もそのつど小学校および中学校を転校した。

花子は、小学校三年生のころ転居のための書類をみて自分が養女であることを知つたが、中学二年生のころから、両親が実親でないことを気にはじめ、特に養母きよ子に対して反発を感ずるようになり、再三家出をしたり、盛り場を徘徊して不良異性交遊を重ね、昭和四三年八月には家庭裁判所において虞犯少年として保護観察処分に付せられたが、その後も素行は治まらず窃盗等の非行を重ねたため、翌四四年三月にはついに少年院送致の処分を受けるにいたつた。

翌四五年四月ごろ、少年院を仮退院した後も、花子は男と同棲したり、スナツクのカウンターガールなどをしていたが、少年院を仮退院したころ、異父姉鈴木志津代の手引きで実母ノブ、双生児の妹かをるとはじめて出逢い、以後時々札幌市美園四条五丁目大黒アパート二階七号室に住んでいるノブのところへ遊びに行つたり、昭和四六年一月ごろには一時ノブ方に身を寄せたりしていたが、妹かをると比べて差別冷遇されているように感じて同女に実母らしい親しみをおぼえることはなかつた。

三、被告人両名の出合いおよびその後の行動

花子は、昭和四六年一月ごろ妹かをるとともに札幌のナイトクラブに遊びに行つた際、そこでバンドマンとして出演していた被告人甲野太郎と知り合つたが、互いの生い立ちや境遇を知つて親近感を覚えた両名は急速に結ばれて同棲し、まもなく花子は妊娠するにいたつた。

ところが甲野太郎は、同月末ごろピアノの腕が未熟であつたことから、バンドのリーダーが他のピアノ奏者を入れようとしているのを知り、みずからそのバンドをやめ、自分で新しいバンドを結成しようとしたがうまくゆかず、その挫折感から自力による生活の気力を全く失い、再び、無為徒遊の生活にたちもどり、ただシンナー遊びに耽るだけの怠惰、無気力な毎日を繰り返すようになつてしまつた。そして、同年二月下旬ごろ、太郎は花子が妊娠していることを知つたにもかかわらず、依然としてシンナー遊びに耽つて働かなかつたので、花子は太郎とともに札幌市南一一条西九丁目和容荘に住込んだうえ、同アパートの管理人方のお手伝いをして働くことにしたが、この生活設計も怠惰な太郎の世話と仕事とを両立させることがうまくゆかないために長続きせず、管理人にたのみ込んで同年三月末まで同アパートにおいてもらい、その後両名は旭川の乙野の養父母の許に身を寄せるにいたつた。

(第一の犯行に至る経緯)

花子の肩書本籍地である養父母乙野正の家に身を寄せてからも、花子は再三太郎に何とか働くよう持ちかけたが、同人はいつこうに働く意欲を見せず、収入のない両名はその日の生活費にも窮するはめとなつて行きづまりを感じ、将来にも希望を持てなくなつたところから、両名は、同年四月五日ごろ、右乙野正方の二階で今後のことを話し合つたすえ、将来に夢を持てないのであればいつそ布団の中でシンナーを吸引し、二人で同じ夢をみながら自殺しようと死んで窮状から逃避することを決意するにいたつたが、その際、死ぬ前にわずかの間でも誰にも邪魔されずに二人で夫婦らしい楽しい生活をしたうえで死にたいと考えた太郎がその旨花子に話し、さらにしばらくでもその夫婦らしい生活をするための場として、以前太郎が暮した美唄の養父竜次の家を思いつき、これを手に入れて同所で生活をするためには、邪魔者である右竜次やその内妻である高寺末子を殺害する必要があり、それもやむを得ないとの考えを花子に打ち明けたところ、どこまでも太郎についてゆこうと決意していた花子は太郎の右考えにすぐ同意した。

そこで被告人両名は、右竜次および高寺の殺害方法について詳細に計画謀議したが、そのときの計画の内容は、甲野竜次の不在中の昼間に同人方に赴き、花子が高寺に話しかけ、そのすきに同女の背後から頭部を太郎がスパナで殴打して気絶させ、紐で頸部を緊縛したうえ包丁で刺殺し、死体を物置にかくした後、表玄関に施錠し、夕方帰宅する甲野竜次を裏口で待ち伏せたうえ同人を刺殺して遺棄するというものであつた。そこで被告人両名は右計画を実行に移すため資金を作るため、花子の指輪を入質し、更に右計画が成功した後に、養父竜次所有の現金や物品で弁償するつもりで、乙野の養母きよ子の指輪を無断で持ち出し、同月一〇日前記乙野正方を出て旭川市内の旅館に宿泊したのち、同月一二日昼ごろ美唄に行き、美唄市東三条北三丁目所在の甲野竜次方に電話をしたところ、同人が在宅していたため当初の殺害計画を変更することとし、被告人両名で計画を練り直した末、右竜次方に泊り込んだうえ、夜中に便所へ行くふりをして包丁で一人ずつ刺殺することにした。

(罪となるべき事実、第一)

被告人両名は前記のように共謀のうえ、しばらくでも夫婦らしい生活をする場を得るため、美唄市東三条北三丁目に居住する被告人甲野太郎の養父甲野竜次(当五三年)およびその内妻高寺末子(当四一年)をいずれも包丁で刺殺して同人らに代つて同住居に住み、遺留される同人ら所有の金品をも手に入れ、もつてこれを強取しようと企て、昭和四六年四月一二日美唄市内の金物店で料理包丁二丁(昭和四六年押第一六九号の一)を買い求め、これを各自一丁ずつ着衣内に隠し持つて、同日午後一一時ごろおよび翌一三日午後九時三〇分ごろの二回にわたつて前記甲野竜次方に赴き、もつて尊属殺および殺人ならびに強盗の予備をした。

(第一の犯行から第二の犯行に至る経緯)

被告人両名は、前記のように二度まで甲野竜次方に赴いたが、一度は玄関付近まで行つたものの通行人があつたため同人方に入ることを思いとどまり、二度目は、同人方茶の間で竜次夫妻と面談したが、花子を宿泊させることを断られたため、計画した殺害行為の実行に着手することができず、やむなく同夜は美唄市東三条南四丁目伊原アパートに居住する太郎の友人尾崎順二方に泊めてもらい、太郎は同人らとボンドやラツカー遊びに耽つていたが、被告人両名は同月一五日、当座の生活資金を花子の実母ノブから借り受けるか、同女の持物を盗んで作ろうと相談し、同日夕方ごろ右尾崎に他から借りてきてもらつた自動車で、右尾崎やその友人とともに札幌へ向つたが、その際右尾崎から自動車の借賃として五、〇〇〇円が必要であると聞かされ、札幌で入手する金で支払う心算の太郎はこれを了承した。同日午後九時ごろ前記大黒アパート近くに到着した被告人らは、前記柳通ノブを電話で近くの喫茶店に呼び出し、そのすきに同女の居室にはいり込み、預金通帳二通を持ち出したが、払戻しに必要な印鑑を持ち出さなかつたために預金の引き出しができず、また前記自動車の借賃を調達する必要もあつたので、今度は柳通ノブから金銭を借り受けようと相談し、被告人両名は、翌一六日午前零時ごろ、右尾崎に午前三時ごろまで待つよう言い残して再び右ノブの居室を訪れ、すでに部屋に戻つてきていた右ノブと会つたところ、同女は被告人らに果物を与えたり、こたつに入るようすすめたり、また花子に太郎のため丹前を出すよう言つたりして、花子と雑談をはじめたが、被告人らは借金のことを切りだせずに時を過ごすうち同日午前一時すぎとなり、太郎は疲れて横になり、そのうちノブもふとんで寝入つてしまつた。

(罪となるべき事実、第二)

被告人甲野太郎は、横になつて休みながらも前記自動車の借賃五、〇〇〇円のことが気になり、その金をどうして作るかについて思いめぐらすうち、いつそのこと寝入つている被告人乙野花子の実母である柳通ノブを殺害して金品を強取しようかと考えていた際、これも車の借賃のことを思案していた被告人乙野花子から「五、〇〇〇円どうするのさ。」といわれて同女に右の考えを告げたところ、同女も「やるかい。」といつて、速座にこれに同意したので、まもなく被告人両名は、ノブの寝ている同室で、ちり紙を使つて同女を殺害する方法などについて筆談を始め、各自の分担を決めたうえ、これを実行するため被告人乙野花子がノブの寝ている布団の中に入つて横になつたが、ノブが「お前と寝るのも何年ぶりだろうね。」などと言い出したため、ノブが熟睡するまで待つことにし機会を窺つているうち、さらに時が進んで同日午前四時すぎごろとなり、クラクシヨンをならして待つ尾崎の手前、なんとか早く金を入手しようとあせる気持からその間一度は被告人乙野花子がノブの部屋にあつた包丁を手にしてノブの頸部近くに迫つたりしたもののノブが身体を動かしたため、そのときは実行を思い止まつたりしたうえ被告人甲野太郎が外で待つ前記尾崎に、「今日の昼までに金を持つてゆく。」と告げて美唄に帰つてもらい、さらに機会を窺い続け、同日午前六時ごろ前記大黒アパート七号室の右ノブの居室において、被告人乙野花子が、寝入つているノブの枕元にあつた帯じめ(昭和四六年押第一六九号の二)をとつて同女の頸部の下を通し、その両端を交差させたうえ、被告人両名がそのはしを力一杯引つ張つて絞扼し、よつてそのころ同所において同女を窒息死するに至らしめて殺害したうえ、同女所有の現金九、八〇〇円ぐらいおよび羽織など五点(時価合計二万九、四〇〇円相当)ならびに同女が管理していた柳通かをる所有の指輪など四点(時価合計二万三、六五〇円相当)を強取したものである。

(証拠の標目)(略)

(法令の適用)

被告人両名の判示第一の所為のうち、甲野竜次に対する二回にわたる尊属殺予備の点はいずれも包括して刑法六〇条、二〇一条本文に、高寺末子に対する二回にわたる殺人予備の点はいずれも包括して同法六〇条、二〇一条本文に、二回にわたる強盗予備の点はいずれも包括して同法六〇条、二三七条に、判示第二の所為のうち強盗殺人の点はいずれも同法六〇条、二四〇条後段に、柳通ノブに対する尊属殺の点はいずれも同法六〇条、二〇〇条にそれぞれ該当するが、被告人甲野の右尊属殺の点については、同法六五条二項により同法一九九条の刑によつて処断すべきところ、被告人両名の判示第一の各罪は、いずれも一個の行為で三個の罪名に、判示第二の各罪は、いずれも一個の行為で二個の罪名に、それぞれ触れる場合であるから、同法五四条一項前段、一〇条によりそれぞれ一罪として、判示第一の各罪については、犯情が最も重いと認められる甲野竜次に対する尊属殺予備罪の、判示第二の各罪については、重い(被告人乙野については犯情が重いと認められる)強盗殺人罪の各刑でいずれも処断することとし、判示第二の強盗殺人罪については、それぞれ後記の諸事情を考慮して所定刑中被告人両名につきいずれも無期懲役刑を選択し、被告人両名の以上の各罪は、同法四五条前段の併合罪であるから、同法四六条二項本文により、判示第二の強盗殺人の罪につき、被告人らをそれぞれ無期懲役に処する以上他の刑を科さないこととして被告人両名をいずれも無期懲役に処し、押収してある料理包丁二丁(昭和四六年押第一六九号の一)は、いずれも判示第一の尊属殺予備、殺人予備、強盗予備行為に供した物で被告人両名以外の者に属しないから、同法四六条三項但書、一九条一項二号、二項を適用してこれを被告人両名から没収し、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項但書により被告人両名にいずれも負担させないこととする。

(量刑の事情)

被告人両名は、詳細に判示したようにいずれも幼時他家に養子に出され、実父母の手を離れて成育したうえ多感な年令にあるときその生い立ちの真相をいずれも思いやりを欠いた方法で告げられて容易に消すことができない心の痛手を受ける等実父母の許で成育する者のけつして味うことのない心の苦しみ等につきまとわれて成長せざるを得なかつたものであつて、被告人両名が互いの境遇を知つてなぐさめ合い、心を通わせるに至つたことも諒解するに難くないものがあるが、被告人甲野太郎が、養母シゲ子の死亡後、家庭に入つた養父甲野竜次の内妻高寺末子に反発心をおぼえ、家庭に背を向け、勉学の意欲を失い、ボンド、ラツカーなどに耽つて安易怠惰な生活を送り、また被告人乙野花子が、養母きよ子に反発して家出をくりかえし、不良異性交遊や窃盗などの非行を重ね、判示のような崩れ方に傾いていつた原因をすべてこのような恵まれない生育歴の故であると責任を他に転嫁してしまうことは適当でないばかりでなく、少くとも親の監督、指導をあえて振り切り、社会における自立の生活単位ともいうべき同棲生活に入つた後は被告人両名は互いに協力して意欲的に生活を切り開く努力をすべきであつたのに、これを自覚することなく場あたり的に日を送つていたため、生活力のない未成年者同志のいわば責任のない結合にすぎない生活はたちまち行きづまり、これの打開のための援助等を親、兄弟その他誰にも求めることもできないまま、ただいたずらに厭世的となつて安易に死の道を選び、しかも死ぬ前にしばらくでも夫婦らしい生活をするためその場を得たいというまことに身勝手な願望を充たすため、被告人甲野太郎の養父およびその内妻の殺害を計画するにいたり、判示第一の犯行を敢行し、さらにその後当面必要なわずかの金銭の調達方法に窮して、容易と思われる他の打開策をも見出すこともできず、簡単に判示第二の犯行を思いつきこれを実行したものであつて、いずれもその犯行の動機において、さらにその動機の形成の経過の中にも酌量すべき余地は認め難い。本件各犯行の被害者として選ばれたのは、いずれも被告人らの養父やその内妻または実母であるが、甲野竜次においては被告人甲野太郎の養育には相当の熱情を注ぎ、なお家庭環境の調整の努力に十分とはいい切れないところがあつたにせよ、甲野竜次および高寺末子のいずれをみても、とくに太郎から殺害されるほどのうらみを買わなければならないような親であつたとは到底認め難く、また柳通ノブにおいては、幼時他家へ養子に出した被告人乙野花子に対し、それほど肉親の情を示さなかつたことがあつたにせよ、判示第二の犯行の直前には、被告人らに対し果物やこたつをすすめたり、甲野太郎のために丹前を出すよう言つたり、さらには被告人乙野花子が殺意をもつて同女のふとんに入りこんで来たことも知らず、「お前と寝るのも何年ぶりかね。」などとわが子とともに寝ることを喜んでいたものであり、このような生母の態度に接しながらなお良心をよびもどすことなく、同女の傍らで殺害の方法などを詳細に筆談し、寝入つている同女の首の下に帯じめを通し、二人がかりで力一杯絞めて殺害したうえ、室内を物色して金品を奪取した本件の犯行の態様は、計画的にして残忍、非情、冷酷というほかなく、被告人両名の刑事責任はまことに重大といわなければならない。

なお、犯行時被告人らは、いずれも少年であつてすべての点につき思慮分別が十分とはいえない年令であつたとしても、犯した犯罪の性質、態様に照せば、分別し難いことがらでないことはきわめて明らかであつて、少年であつたことをもつて酌量すべき特段の事由ともなし難く、養父甲野竜次や乙野正、および被告人乙野の異父姉である鈴木志津代らの減刑嘆願があることや被告人両名が今日自分達の犯した行為につき深く反省していると認められること、その他被告人らに有利な一切の情状を考慮に容れても、本件犯罪の罪質および情状に照せば、被告人両名に対し無期懲役を科するのが相当である。

よつて主文のとおり判決する。

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